はい、いよいよ、ここまできました。
ぷっこの実家に溢れていた、ぷこ父の負の遺産であるガラクタを処分した際の記録、その7です。
全貌
総量
まずは総量。
★自分たちで持って帰ったもの
ぷこ父のガラクタのうち、今回持って帰ったもの。
軽バンにいっぱい。
★人に譲ったり、売ったりしたもの
大量。親戚には軽トラ4、5台分のもの(本棚・工具など)を譲りました。
旦那がネットなどで販売した不用品も、正確な量は不明ですが、結構いっぱい。
★今回処分したゴミの総量
・庭で燃やした燃やせるゴミ
不明。本棚5つ、自作のテーブル、棚などの大きいものとは別に、大きいダンボール10~20個は燃やした気がする。
これはほんの一部分。
・ゴミ処理施設に持って行った燃やせるゴミ
550~600㎏。体積だと約14㎥。
・ゴミ処理施設に持って行った燃やせないゴミ
重量不明。
大まかに出してみた所、約850㎏。
(自分たちの終活の際に処分した燃やせないゴミが、1㎥あたり約100㎏だったので。ちなみにぷっこと旦那の2人分で330㎏だった)
体積は約8.5㎥。
・鉄くず
1,060㎏
体積は約4㎥。
・産廃として出したゴミ
重量不明。
体積は1㎥。
その他に冷蔵庫1台・エアコン2台・テレビ1台。
市の処理施設に持って行ったゴミと、鉄くずだけで、総重量2.4t超えるってどゆこと。全体でどんだけゴミがあったんでしょう。しかも全部、ぷこ父が一人で集めたゴミ(約40年かけて)ですよ。
かかった費用など
燃やせるゴミの処理施設で3,250円、清掃公社のコンテナが27,750円、家電4品目の処分費用が8,202円。
処分費用は合計39,202円。
収入として、T社で鉄くずなどを買い取ってもらった金額が10,991円。
旦那がネットなどで不用品を売った金額が20万円強。
ビフォー&アフター
ぷっこが書いた平面図なので、縮尺がおかしかったりしますがご了承ください(;・∀・)。
実家の1階居間
約15畳。
壁一面の棚(ぷこ父自作)に、書類(大部分が取説などの不要なもの)、本、ガラクタ、DVD、カセットテープなどが入ってました。
あとは中央に付近に自作のデカいテーブル。上にはガラクタ。下には本やコピー用紙など。
普段立ち入らない場所は、埃が厚く積もってました。
ちょっとずつ分別して片付け。
敷きっぱなしのカーペット(20年近く敷いたまま)も処分し、倉庫にあったカーペット(人からもらったというきれいなもの)と交換。
張り替えたくても、窓に到達することもできなかった為ボロボロだった障子も張り替えて、
ビフォー。
ビフォーを見てた親戚のおばちゃんが、『まさかここのリビングで、リクライニングチェアで寛げる日が来るとは!!』と、いたく感動してくれてました。
新しく、くまさんを雇い入れ。
実家の2階ぷこ父の書斎
約6畳。
本棚、棚が壁の四方を占めていて、それぞれにガラクタがいっぱい。部屋の中央にも本棚があり、自作の台や収納棚に阻まれて部屋の奥に入れない状態。
棚をどけると壁は日焼けして、埃まみれ。床に敷いてたマットをどけると、床が一部分カビてました。
廊下にもはみ出してガラクタが置いてあった。
机の上。
ちょっとずつガラクタを処分。
アホみたいにハードディスクがいっぱい出てきた。
汚い壁も雑巾で拭いて、
アフター。
アフター。
今は雨の日の洗濯物干し場としてぷこ母が使用中(・∀・)。
実家の2階のスペース
約4.5畳。
本棚が5つ壁に置いてあり、コピー用紙やワープロ用紙、本、雑誌などが入れてありました。
窓辺のテーブルの上は雑多なガラクタでごちゃごちゃ。
本棚を空にして、片付け。
すっきり。
倉庫1階
約10m×4mの倉庫。
1階部分は入り口までガラクタが溢れ、中に入るにはガラクタを踏みしだいて入るしかない状態。そもそも床が見えない。
写真撮ろうにも、目の前までガラクタが迫っていて、全貌を捉えきれない(;’∀’)。
片付け前に倉庫を覗いた叔父ちゃんは、ぷっこ達がガラクタを踏みしだいて奥に入る姿を見て『うわっ(;’∀’)』って言ってました。(何に引いてたんだろう(・∀・)?)
巨大な自作の棚はガラクタの重みで歪んでいたし。
片付けは1m進むのに1日のペース。窓に到達して1つ1つ開けていくのもやっと。(てか、『こんなとこに窓あったんだ(;・∀・)』、状態)
意味不明なガラクタが山ほど。
奥もごちゃごちゃ。
少しずつ分別してまとめて、棚も解体。
ゴミをまとめて、処分。
すっきり。
ビフォー。
アフター。
ビフォー。
アフター。
家の修理などで使えそうなものは、まだ置いてあります。
”普通の倉庫”になった(・∀・)
倉庫2階
最初の写真撮り忘れた(;’∀’)。
1階の3/4ほどの広さ。
本棚には本や雑誌がこれまたいっぱい。
あとは大量の機械やコードなど。
アフター。
階段上がって左のスペースは比較的空いてたけど、デアゴスティーニの大量の冊子が。ナゼか№1~10まで2冊ずつ買ってたりする。値段を計算したら20万円近く費やして、しかも途中から未開封で放置された状態。
途中まで作った形跡はあった(+_+)。
まとめ
★ビフォー&アフターを見てわかるように、実家の荷物を全て処分して、空にしたわけではありません。あくまで、ぷこ母が普通の状態で、普通に生活できるレベルに片付けただけです。(ガラクタの隙間で生活したり、ものを避けて横歩きしたりせずに済むように。)
倉庫には、農薬やステンレスの煙突もまだ大量に。実家に帰る度に、処理業者に持って行ったり、ジモティーなど活用して譲ったり、まだやることは多そうです。
★実家は中々のゴミ屋敷だったと思いますが、それでも5段階のうちレベル3~4くらいだったかな?と思います。壁や床に、埃やカビはついてましたが、一応無事だったし。
ヒドイゴミ屋敷は、天井付近までゴミが溜まっていて、匂いもすごいらしいですし。生ごみなどから出た液体も加わって、層になったゴミは自重で押し固められ、新聞紙がコンクリートのように硬くなるそうです。
ゴミの重さと湿気の為、家の床が腐って抜け落ちることもあるそうな(;゚Д゚)。
実家がそこまでいかなくて良かった(;’∀’)。でも、もしぷこ母が先に亡くなって、ぷこ父1人で実家にずっと引きこもることになってたら、レベル5のゴミ屋敷を遺されることになってたかも(;゚Д゚)。まぁ、そうなったら相続放棄してたかもですが。
★ゴミを減らす為にも、リサイクルの為にも、人に譲れるものはどんどん譲りました。
売れそうなものは旦那に売ってもらいましたが、親戚・知人が要りそうなものは別に置いといて、見てもらって、欲しいものは持って帰ってもらいました。
本棚やスチールラックや工具など。あとは近所の人が『植木鉢欲しい』と来たので大きい植木鉢を20個ほど譲りました(それでもまだあと50個はある)。
デアゴスティーニの冊子は”ジモティー”で、隣の市の人に譲りました。
★業者を探す時は、行政の担当部署や地元に長く住んでいる信頼できる人に聞くのがいいかなと思います。悪徳業者にひっかからない為にも。
ぷっこのように、遠く離れた地元でゴミ屋敷を遺された場合は、地元に住む親戚などに聞いてみるのもいいかと思います。今回ぷこ母が思い出したように、いい業者さんを知っているかもです。
★終活は大事です。
ちなみに、ぷこ父も一応”終活”と称して、それなりに生前ゴミを処分してたらしいんです。倉庫の2階にはもっとガラクタがあったはずだし、本や雑誌ももっといっぱいあったはず。
それでも、遺されたゴミはすごい量あったんですけど。
とりあえず、遺されて困るものは”訳の分からない機械”(その6参照)。
”中身が入ったままのもの”。空っぽだったらまだ処分のしようがあるのに、中身が入ってると頭をかかえます。
例えば塗料(液体・気体がいっぱい)。半分くらいは中身をウエスに吸わせて、ウエスは燃やせるゴミ、缶は燃やせないゴミで処分しました。(半分で力尽きた)
”分解されたもの”。ぷこ父はなんか機械を分解するのが昔から好きでした。ぷっこの壊れたラジカセを『修理してやる』と分解し、結局直せずそのまま放置、とか。
元ぷっこの部屋。ファンヒーターが分解途中で放置。フタ閉めて、燃やせないゴミとして処分した。
倉庫の1階に、プリンターのタイミングベルトがいっぱいかけてあって、それを見た旦那が呆れを通り越して爆笑してました。
もう、何がしたかったんだか。意味不明( ゚Д゚)。
あとはですね、”ピンク色のもの”。これを見ている世の中のお父様たち。死期を悟ったら、ピンク色のもの(ご想像にお任せします)を真っ先に処分してください。娘は父の性癖なんて全く知りたくもありません。
前にも書きましたが、ゴミを大量に遺すのは、もはやハラスメントですから。
こんな感じでしょうか。
ここまで、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
所々、情報が足りてない部分や写真の不足している部分があります。
順次、加筆修正していきます。
いやぁ、改めて思い返すとすごかった(;’∀’)。
人生の宿題を1つやり切ったわ(;’∀’)。
旦那、どうもありがとう。本当にお疲れ様でしたm(_ _)m。
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