たまにやる、ぷっこの戯言の記事を書いてみます。相変わらずの乱文です( ・∀・)テキトー万歳( ・∀・)b。(旦那の進言により題名などちょっと変えました)
一昨日、師匠からメールいただきました。師匠も奥さんも、コロナのワクチン接種2回目が済んだとの事。
でも、まだまだ不安は大きいものがあります、との事でした。それはそうですよね(*´Д`)。前代未聞の世界レベルの非常事態ですもの。
メールの終わりに、気に入った詩を送りますと、金子みすゞさんの詩が載せてありました。
『ふしぎ』金子みすゞ
わたしはふしぎでたまらない、 黒い雲からふる雨が、 銀にひかっていることが。 わたしはふしぎでたまらない、 青いくわの葉たべている、 かいこが白くなることが。 わたしはふしぎでたまらない、 たれもいじらぬ夕顔が、 ひとりでぱらりと開くのが。 わたしはふしぎでたまらない、 たれにきいてもわらってて、 あたりまえだ、ということが。
当たり前って何だろう?
詩の内容や、師匠が伝えたかったことからは外れているかもしれませんが、ふと、“当たり前”って何だろう?って思った訳です。
そして、同じような使われ方をする、“普通”や“常識”。
どれも、大人が子どもを無理やり納得させる為に『それが当たり前(普通・常識)だから』、みたいに使う言葉のイメージ。
旦那は子どもの頃よく、『お前は常識が無い』と怒られてたそうですが。
常識とは『健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別』他に『社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと』。
ふーん…( ・-・)。
へそ曲がりで不健全な非一般人のぷっこにしてみたら、『単なる、人の顔色伺い合う自称多数派が、“こうあるべき”って勝手な物差しで決めたルールなんじゃ?』って思ってまうけど。
それから外れてるからって、別に人に迷惑かけてなかったら、批判される謂れは無いよね?ただ少数派なだけで。
『ちょっと変わった、面白い人』で、良くない?
杓子定規で面白味のない人より、よっぽど魅力的な人だと思うんです。
広汎性発達障害と診断された旦那が感じる生きづらさ。
『やっぱりちょっと変わってる(ぷこ母談)』旦那ししゃも
ここで、身近にいる『変わってる面白い人代表』の旦那。
旦那は以前、アスペルガー症候群を含む『広汎性発達障害』と診断されました。
サイコパスな共同経営者と、農業法人を経営していた頃に、そのサイコパス一家や従業員との人間関係に悩み、『人付き合いが上手くいかないのは、自分に原因があるから』と色々調べて、自分はアスペルガー症候群なのでは?と、考えて、大人の発達障害に対応してるクリニックで調べてもらった結果です。
今思えば、確かに旦那はアスペルガー症候群かもしれないけど、サイコパス相手に良好な人付き合い築くのって、無理ゲーだからね( ;∀;)。あくまで個人の意見ですが。
そんな旦那の特徴は、『偏ったこだわり』かなと。
知識や技術が、とにかく“ニッチ(所謂スキマ産業)で、マントル(地球の殻より内部)なみに深い”。
例えば。レトロゲームに関しての知識を語り出したら夜が明けます。好きな銘柄のゲームをやりだしたら寝食を忘れて没頭し、プロなみに上達するまでやめません。
あとは、農業や建築物、電子工作にプログラミング、農業機械にテントウムシなど、客観的に見たらナゾ&雑多なラインナップですが。本人が興味を持った事柄を、とにかく突き詰めて得た知識や技術たちです。
抽象的に言うと、通知表の成績5段階評価において、【色んな項目、1(全くできない)か5(ものすごくできる)しかない】みたいな感じ。一般人は多分、【3や4(普通にできる)の項目が多く、たまに2(もう少しがんばりましょう)や5がある】感じでしょうか。
そんな旦那は、前も書きましたが早い段階で“普通にサラリーマンとして生きること”を諦めて、紆余曲折を経て今に至ります。本人曰く“堅気じゃない生き方”。
感じている生きづらさ
地球上の、どの時代のどの場所においても、少数派はとにかく生きづらいもの。
旦那に、生きづらさについて聞いてみたら『他の人と、感性がズレてるのはわかるけど、どうズレてるのかがわからないし、無理に合わせることもできない』との答えが。
あとは、『(自分にとって)必要性の無い事ができない』『(納得のいく)理由が無い事ができない』『他人が理解できない』『ごっこ遊びができない』とも。
他の多数派の人がやっている事でも、自分がやりたいと思わなければ『それをして、何が面白いのか?』と、冷めた感じみたいです。
15年ほど旦那を見てきたぷっこの意見ですが、『他人の振る舞いを真似して、表面上合わせることはできるし、そこでも高い能力を発揮して結果を出すこともできるけど、人一倍の、本人も思ってる以上のかなりのストレスがかかってるみたい』。
5月末に、免疫力が落ちて夏風邪でぶっ倒れたのは、この性に合わないことをし続けたストレスのせいだとぷっこは思ってます(ヽ゚д゚)。
発達障害は、特徴を活かせる場では個性であり、活かせなくて辛い場では障害になる、ということ。
これは、旦那をカウンセリングした、クリニックのカウンセラーの方の言葉。
診断に至るまで、旦那と2回、ぷっこも1回(妻からの話も聞き、旦那の状態を判断する為)カウンセリングを受けました。
最終的な診断を2人で聞いた際に、担当の女性のカウンセラーの方が言いました。
『ししゃもさんは、広汎性発達障害のスペクトラム(症状が曖昧な境界を持ちながら連続していること)に含まれている可能性が高いでしょう。』
『これは、本人が障害と感じる場では“発達障害”ですが、それを活かせる場では“個性”ですから。』
もう、5、6年前の話だし、言われた言葉をそっくりそのまま記憶しているわけではないですが。そのような事を言っておられ、色々思い詰めて追い詰められていたぷっこには、肩の荷が下りるような、救われたような気持ちになったことは強烈に覚えています。
当たり前や常識(しかもサイコパスの歪んだ主張による)を無理やり強要される環境にいて、ありのままのししゃもを認めてくれる人が他にもいた、とほっと安心したような気持ち。
同時に、うつ病の診断もされていますが、今考えると適応障害に近いものだった気がします。
適応障害は、うつ病と同じような症状ですが、うつ病に比べて原因となるストレスがはっきりしており、それを取り除くと早い段階で症状が改善されるそう。
旦那の特性が、障害として扱われる環境で、自分勝手な“常識”を強制され強いストレスに晒された結果の鬱状態だったのかなと。
自分の特性を分析して、合う場所を探して楽に生きてって欲しい。
旦那と同じように、少数派な故に生きづらさを感じている方は、結構いらっしゃると思います。
まずは、“性に合う”=“嫌じゃないこと”を探してみて欲しいかなと。
旦那、“嬉しい、楽しい、ハッピー☆ ”が自分でよくわからないみたいで。でも、“嫌、苦痛”とかはちゃんとわかる。
嫌じゃなくて、長く居心地良くいられる場所が、特性が障害じゃなくて個性でいられる場所なのかなと。
旦那曰く『諦めが肝心(人と違うことを悩んで、修正することを、早々に諦める方が良いらしい)』。
そして、『自分に合う場所を探すことに、力を使った方が良い』との事。
常識は多数派の意見なだけなので、それに囚われず、自分が自分らしく楽に息ができる場所で、生きてってほしいです。
自分で自分の特性を分析して、認めることで、そんな自分を認めて見守っている人が身近にいるんだと、知って、自分を大切にしてほしい。
今は昔に比べて色んな価値観が認められてる時代だから、探したら色んな生き方があると思います。
常識や普通は、正解という訳じゃなくて、白と黒の間には濃淡の連続した灰色があって、どこに当てはまっても、その人らしい個性な訳で。
金子みすゞさんの、代表的な別の作品の一節。『みんなちがって、みんないい』と私も思います。
『私と小鳥と鈴と』 私が両手をひろげても、 お空はちっとも飛べないが、 飛べる小鳥は私のように、 地面(じべた)を速くは走れない。 私がからだをゆすっても、 きれいな音は出ないけど、 あの鳴る鈴は私のように、 たくさんな唄は知らないよ。 鈴と、小鳥と、それから私、 みんなちがって、みんないい。
旦那はすぐに自分を卑下しちゃうけど、そのままで、いいんだよ。旦那が楽しそうなら、ぷっこも猫たちもハッピーだよ。
だから、自分の為にちゃんと手洗いうがい、心がけて下さいよ。(この15年で、手洗いうがいを怠ったが故に2回ほど死にかけてる)
稚拙な戯言はこの辺で。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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