予め言っておきますと、暗い話ですので(´-ω-)人。
あと、乱文失礼してます。
こんなへっぽこブログですが、3年と2ヶ月続いてて、少なくとも閲覧数0じゃないから、それなりに見てくれる人もいるみたいで。
情報発信する手段を持ってる身として、従兄弟の死をただ見過ごしたくない、とこの記事を書いてます。
自殺を選んだ従兄弟
去る6月19日、ずっと地元で暮らしていた従兄弟が、自殺したという連絡を受けました。
年は数えで44。小学生6年生と3年生の2人の娘を持つ、お父さんです。地元の学校卒業後、地元で公務員してました。
ぷこ母の妹に当たる叔母ちゃんの、2人いる息子の内の弟です。
ぷっこより5つ以上年上だし、接点も無かったのでまともに喋った記憶が無い。ぷこ母も、子供の頃から大人しくて無口な子だったと言ってます。
顔を合わせたのも、いつが最後だろう?ぷっこは20年以上会ってないと思う。
それでも、結構ショックでした。
おばちゃんには、色々とお世話になっているし。おばちゃん大丈夫かな(´Д`)?とか考えてしまうし。
やっぱり子供の頃から知ってる従兄弟が、まだ40代で自殺で亡くなるというのは、ショックだった。
旦那も会ったこともないけど、おじちゃん、おばちゃんにはたまに会ってるから、その息子が…と、ショックだったみたい。
原因は、色々あるでしょうが、家庭内の問題が大きかったようです。
妻が、4歳年上の、教師をしている気の強い人らしく、物静かな従兄弟は色々とストレスを溜めていたようです。
離婚したいけど、妻が承諾しない、という話もありました。従兄弟は家庭裁判所まで足を運んでいたそうですが、妻は判を押さなかったとか。
一時期、耐えられなくなって、従兄弟が1人で家出した、という話も聞いてました。
その後、家族のいる家に戻ったものの、夫婦喧嘩がきっかけで今度は妻が、娘2人連れて家を出たらしい。
子煩悩な従兄弟には、それが耐えられなかったのでは、と母は言ってます。
公務員という仕事柄、今回のコロナ禍の影響も多大に受けていたことでしょう。
自宅近くの公園で、19日朝に発見されたようです。
自殺を決行しようとした、ぷっことししゃもだから
気持ちはなんとなく、わかります。
追い詰められて、逃げ場も、逃げる気力すら無くなって、その道を選んでしまう気持ち。
根性論を振りかざす人は、『娘2人遺して、無責任だ。』とかって言うんでしょう。
そこまで追い詰められたら、無責任なのは重々承知です。でも、それどころじゃない。“もう、こうするしかない”って思い詰めてしまうんです。
多分、金曜日を選んだのは、通夜や葬儀の日程を考えたのかな。とか。6月21日の父の日の前を、あえて選んだのかな。とか。
近くの公園を選んだのは、自宅だと事故物件になって家族に不利益になるからかな、とか。
(ちなみに、従兄弟が亡くなったことで、持ち家のローンは払わなくてよくなったそう。)
思い詰めていても、少しでも、できる限り人に迷惑かけないように、って、ぷっことししゃもも考えて動いてました。
今考えてみると、第三者からしたら『バッカじゃねえの?』って言われそうなことだけど。
身辺整理して、荷物棄てて。旦那のゲーム類は友達のもよもとさんに、42インチのテレビは弟のようちゃんに、車はリズちゃんに。
貯金も全部下ろして、猫たちが残りの生涯困らないように使って、と遺書に書いた。
形見分けで、親友のユウさんに小包と、お金も送った。今だから言えるけど、2月8日に自殺を思い止まった後、郵便局に電話してその小包を留めてもらって、送り返してもらったのは良い笑い話です(;・∀・)。
後に、お義母さんに、『猫たち遺して逝こうとするなんて。』と、たしなめられました。
今思えば、子どもたちを遺して逝かなくて本当に良かったけど。その時は、それどころじゃなかった。
辛くて苦しくて、それしかない、と思ってました。
きっと従兄弟は、そんな気持ちのまま、一線を越えて逝ってしまったんでしょう。
自殺は、もったいない。
前も書きましたが、自殺を企てている時、人に相談しようとは思わなかった。
だって。相談しても『自殺なんかしちゃダメだよ。』って判を押したような答えしか返ってこない、と思ってたから。
そして、他人が自分たちの為に何かしてくれる、なんて期待は無かったし。自分たちで何とかする、気力はもう無かったし。
生きてる人は、多分『自殺なんかダメだよ』って言うけど、実際自殺した人は『自殺して、良かったよ』って言うかもしれないじゃない?
とか、中二病的な発言をしてみてますが。
人それぞれ、価値観は違う。幸せな最期の形も、人それぞれ。
きょうだい、子に孫に囲まれて、一番上の孫(旦那)に手を握られて、眠るように病院のベッドで亡くなったおばあちゃんは、この上なく素晴らしい最期だったと思うけど。
所謂、孤独死というのも、発見時は悲惨かもだけど、人によっては幸せな最期なのかもしれない。
橋の下で、段ボールのお家で亡くなろうが、病院で高度な医療を受けつつ亡くなろうが、本人が幸せな最期と思って逝ったなら、それは幸せな最期なんです。
それが、自殺だとしても。生きてる他人が、その勝手な物差しでとやかく言うことじゃないかなと。だから、悪いとか、無責任とか、ダメだとか、ひとくくりに言えないかなと。
ただ、もったいない。と、思う。
追い詰められて、死ぬしか逃げ道がなくて、まだ生きれるのに自分で自分を殺すのが、自殺。
自殺しなかったら、その人は、従兄弟は、今も生きてる訳です。
例えば弁護士に頼んで、離婚して、新しい人生を歩んでみたら、思ってもみなかったハッピーな出来事がたくさんあったかも。
ぷこ兄も、焼身自殺を図って一命取り止めて、詩を通して他人に認められて、今は生き甲斐を持って生きてます。
詩の研修会に参加したり、新聞に投稿したり、仲間と詩集を出したり。ぷこ兄のファンもいるんだとか。
どん底にいた時には、想像もできなかったような変化です。
自殺が成功していたら(あまり良い言い方じゃないけど)、そんな気持ちは知らないまま。
生きているからこそ、感じることができることです。
ぷっことししゃもも。自殺を思い止まり、師匠に支えてもらって、弁護士さんに助けてもらって、サイコパスの共同経営者から全力で逃げて逃げて、今があります。
猫たちとの穏やかな日々。
働いたら決まった額もらえる給料。
家賃タダで住まわせてくれるおっちゃん。
大ちゃんも含めて、何か親しくしてくれる旦那の従兄弟たち。
幸せ( ・∀・)。
借金返しながらではあるけど、散歩に行ってコンビニでホットコーヒーとアイスを買って食べなから歩く、くらいの贅沢はできるし。
自殺してたら、味わえなかった、幸せ。
自殺って、いつでもできると思うんです。
タイミングは自分で決めれるから。
死ぬの、今じゃなくても、良いのでは?
死んだら、少なくとも今の生はそこで途切れてしまう。話すことも触れることもできなくなって。
その先に、思ってもみなかった幸せな人生が拓けてるかもしれないのに。
それを自分で途切れされてしまうのは、もったいないです。
今、何かに追い詰められて、自殺を考えて、何かのきっかけでこのサイトにたどり着いた方。
逃げて足掻いて、それからでも、良いのでは?
辛いことからは、全力で逃げて良いんです。
自分じゃ価値も意味も無い人生と思っていたとしても、20年以上も会ってない従姉妹の、会ったこともない旦那がショック受けるくらい、人1人の命は重たいんです。
生きてるだけで、人1人、他の人に影響を与えることができる、重要な1票なんです。
そして、案外、家族や他人は、手を伸ばしたら助けてくれる、もんなんです。
自殺は、もったいないです。
最後に、せめて従兄弟の冥福を祈りたい。
辛く悲しく、孤独も感じていたことでしょう。
どうか今は、心穏やかでありますように。
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