*同じような境遇の方の何かの参考になれば、と検索にひっかかりやすいかなとタイトルに“きょうだい児”を入れました。
ぷこ兄の病気と転院に絞って、書いてたつもりなのに、文章量が半端ないことになったんで、とりあえず病状のことだけで1記事にしました(;・∀・)。
今までの病状など
今までの記事と重複してるとこもあると思いますが…。
高校生で発症、その後の20代
ぷこ兄の発症は高校生の頃。でも、すぐに“統合失調症”の診断がついた訳ではなく。
まだ、何となくの身体の不調だったようです。何が原因なのかわからず、泌尿器科をはじめ色んな病院巡りをしていたよう。(ぷっこは4学年下で、ぷこ兄の不調などあまり気にせず、気ままに学校生活送ってたので後から聞いた話)
その後、四国の大学(夜間部)に入学し、アパートで1人暮らししながら、アルバイト(ホテルの皿洗い)もしつつ、真面目に大学に通っていたようです。
ただその頃、アパートの住人の物音が気になって、本人の話だとケンカしたり、在学中に他のアパートに引っ越したり、被害妄想なのか、見張られてる・悪口言われてるとかの訴えもあったようです。
大学3回生で、卒業に必要な単位を全部取れたので、1年早く実家に戻ります。その頃の症状としては、アパートに様子を見に行ったぷこ父が卒論のチェックをしている後ろで、落ち着きなく部屋をぐるぐる歩き回っていた、と聞いたことがあります。
それまでも精神科を受診していましたが、その頃に“統合失調症”の診断がついたのかなと。(ぷっこもあまり覚えてないし、サマリーを見れる立場でもないからわからない)
そして、精神障害者手帳の手続きして、障害者年金をもらい始めたのも、この頃だったのかなと。
大学卒業後は、精神科の病院に通院しながら、デイケアなどに通ったり、障害者の家族会に参加して、そのつてでピアノを習って作曲して、ミニコンサートで歌を歌ったこともありました。
ぷっこが知る限り、2回ほど入院もしています。1つはN病院で、1つは実家から車で1時間以上離れた病院。
その遠方の病院に入院の際、たまたま帰省していたぷっこも一緒に、家族4人で行きました。ただ、主治医が診察の際、しきりと『ここは自立を促す、とにかく自立。』みたいな話をしていて、何もわからない当時のぷっこですら(何かこの病院やだな)と思った記憶が。そしてぷこ兄にも合わなかったようで、すぐにそこは退院したみたいです。
大学卒業後からの20代はこんな感じです。調子の悪い時は、朝起きられず昼まで寝ていたり、時に感情が高まり壁など殴って壊したこともあるようです。
両親から、その辺の話をちゃんと聞いたことは無いですが、室内のドアや壁に数ヶ所、ぷこ兄が開けたと思われる直径10~20㎝くらいの穴が実家に残ってます。
30歳で自殺未遂
そして、30歳の頃、庭先で焼身自殺を図って全身重度の大火傷を負い、救急搬送。市内の病院に一旦運ばれますが、処置に限界がある、とすぐまた救急車で大学病院に搬送(高速道路を使っても車で1時間の距離)。
そこにかけつけたぷこ父が、ショックのあまり?近くのコンビニで酒(ウイスキー)を買って飲んで酔っぱらい、執刀の皮膚科の医師に絡んで大変だったらしいです。こういうとこ、ぷこ父だよね(°▽°)。
そして、そのお医者に『あなたも入院した方が良い』と粛々と言われて、素直に従った?ぷこ父はそのまま大学病院の精神科病棟にしばらく入院してました(°▽°)。
ぷっこと旦那は、ぷこ兄が大火傷を負った次の日の早朝に地元に到着し、そのまま大学病院に。ぷこ母と合流しました(ぷこ兄に付き添って、病院で一夜を明かしてた)。
ぷこ兄は手術後、しばらく意識が戻らなかった記憶があります。大学病院の集中治療室に1ヶ月ほどいて、その後は精神科のナースステーション内の仕切られたベッドで、ずっと寝てた記憶が。その頃は意識が戻り、目も開いてたけど、口から管を入れられてて、痰が絡むのがしんどそうでした。(ぷっこはぷこ兄が火傷した翌日から約2ヶ月実家に滞在しました)
大学病院にはどれくらいいたんだろう?記憶が残ってないし、ぷこ母に聞くのも、辛い記憶を思い出させるのも何だかな、だし。
皮膚移植の手術を何回かして、体が回復すると少しずつリハビリもして、少しずつ動けるようになって。
大学病院を退院して、実家から車で10分ほどの距離にあるN病院に転院しました。
N病院での11年の入院
それから11年間、N病院の閉鎖(療養)病棟に入院していました。最初の5、6年は、年に1回ほどのペースで、皮膚移植の手術の為に大学病院に1ヶ月間ほど入院、という感じでした。
手術の日程が決まって近づいてくると、不安や恐怖から不安定になり、N病院でも物を壊したり、大声をあげたり、などがあったようです。
11年間継続して入院していましたが、たまに外出したり外泊したりで実家に帰ることもありました。
ぷっこが帰省しているタイミングで、ぷこ兄も外泊して帰ってくることもありましたが、その時のぷこ兄は落ち着きなく、庭に出てみたり家に入ってみたり、2階に上がってまた降りてきたり、と、じっと座っていられない感じ。
その緊張?が高まってくると『あっ!あっ!』と大声ではないけど声を出したり。夜は頓服の睡眠薬を病院から処方されているけど、飲んでも寝られず、ぷこ母がずっと付き添う、みたいな感じでした。
一番最近の、2年前の外泊でもそんな感じ。昼間は車であちこち(買い物や公園など)行きますが、落ち着かないからとジュースやコーヒーをガブガブ飲んで、飴を舐めて。しょっちゅうトイレに行くし、突然『あそこに行きたい、いや、でもどうしようかな…』と言うので、運転手が結構大変。
外泊が終わり、ぷこ兄が病院に戻ると、正直『やれやれ(;・∀・)』と、力が抜けるというか。睡眠不足のぷこ母とぷっこは『とりあえず、寝るわ( ̄ω ̄;)』という感じ。
そうそう。多分5、6年前から、斜頸(しゃけい:ぷこ兄の場合は顔が右横を向いたまま、真っ直ぐ前を向けない状態がずっと続く)が顕著になって、道を歩いたり食事をするのも不便そうな感じでした。
ぷこ兄の斜頸の原因、薬の副作用らしいですが、詳細は不明。でも、最近は症状がかなり改善しています。まだ少し右には向いてるけど、前ほどではないです。
落ち着かない感じも、今回の転院の際はあまり見られなかったし。自分でセーブして、ジュースの量を考えながら飲んでいたし、『2杯以上飲むと夜が寝られなくなる』と、コーヒーの量も自分で制御してました。
新幹線の移動中も、トイレ意外は座って外の景色を見たり話をしたり。
頓服の睡眠薬飲んで、ホテルで泊まった2晩はよく寝たようですし(その前の2晩ほど寝れなかったとは言ってたけど)。
何か問題が起こっても、自分で解決する(頓服飲むのにペットボトルの飲料水が欲しい様子だったけど、迷って悩んでホテルの水道水で飲んだり)様子も見られました(偉そうなこと言ってるけど、自己中の妹ぷっこはそんな様子を察しつつ寝落ちていった)。
以前より、2年前より、格段に症状は落ち着いてるな、と思いました。
兄妹の関係
少しだけ、このことに触れておきます。
前も書きましたが、ぷこ兄は子供の頃から優しい人で、ぷっこもよく遊んでもらったし、いじわるされた覚えは全くなく、ケンカらしいケンカも数えるほどしか覚えてないです。
あ、ぷっこがブタ鼻だからと『ピッグ(PIG)、ピッグ( ^Д^)』とからかわれてたことはあったな(°▽°)。
思春期になってもそんな感じで、中学高校の頃はブラコンと友達に言われていたし、一緒に自転車で出かけて、マンガを買ってもらったことも。
ぷこ兄が大学進学で実家を出て、戻ると、今度はぷっこが入れ違いに大学進学で中国地方へ。そのままぷっこは地元に戻ることはなかったので、ぷこ兄が大学進学後は年に数回しか会わない感じでした。
離れて暮らすようになってからは、定期的に手紙や絵はがきをやりとりするように。それは現在に至るまで続いています。
会えば普通に話して、お互いの近況報告や好きな歌手や曲の話をしたりして。
ただ、ぷっこの中で『ただ優しいお兄ちゃん』から、『統合失調症を患っているぷこ兄』というように、少し客観的に見て接する方がお互いにとって良いのかな、と色んな失敗(失言)や経験から思うようになりました。
今回はここまでで。そんなぷこ兄の転院の具体的な話を、次回書いてみます。
長ったらしい文章にお付き合いいただき、ありがとうございました( ;∀;)マトマラナイ。
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